まんぷく

まんぷく 第20週の感想やあらすじ、第21週の予想!

まんぷく第20週のあらすじ

冷凍と蒸発を繰り返してできる高野豆腐からヒントを得た立花萬平は、蒸した即席ラーメンの麺を繰り返し冷凍と蒸発させた。

しかし、成功とならず、また行き詰ってしまう。

そんな時、天ぷらを揚げている福子を見た萬平は、今度は天ぷらからヒントを得ると、蒸した麺を揚げ始めた。

揚げた麺は、“多孔質化”という状態になり、油の熱で面の中に空洞ができ、そこにお湯を注ぐと元に戻ることから、萬平は麺を揚げるという画期的な方法を発明し、常温保存できる麺を成功させた。

完璧主義の萬平はさらにここから、揚げた麺が美味しくなるように逆算して、生地作りから始める。

萬平には研究に専念してもらい、その他のことを福子が担っていたが、材料費が嵩み、生活費が底をつき始めていた。

そんな現状を他所に生地作りをする萬平は、様々な細かい条件が設定し、萬平自身も納得するほどの美味し麺を作りあげた。

即席ラーメンを作るにあたり5つの条件他に、周囲の全員が美味しいと言ってくれることを条件に加え、試食会を開く。

最後まで渋っていた母・今井鈴、友人の世良勝夫も唸らせるほどのできあがりとなった“即席ラーメン”は、食べた人が満腹になって幸せになるように、萬平と福子の名前ももじり、“まんぷくラーメン”と名付けられた。

“まんぷくラーメン”のできあがりに感動した義兄・小野塚真一と友人・世良勝夫は、会社を作って量産すべきだと言う。

“まんぷくラーメン”を斬新なイメージで売り出したいと考えていた萬平は、香田家に出向き、袋のデザインをもう1人の義兄・忠彦に依頼する。

デザインの依頼を受けた忠彦は、孫の誕生からアイデアが浮かび、袋をデザインした。

そのデザインに仮名で書いた会社名が好評だったことから、萬平が新しく設立する会社名は“まんぷく食品”に決定。

いよいよ、“まんぷくラーメン”の大量生産が始まる。

萬平を手伝うためにパーラー白薔薇を辞めた福子は、スープエキス作り・麺の揉み込み・麺蒸し・スープエキスかけ・陰干しを、母・今井鈴と担当する。

萬平は油で揚げる作業を担当し、袋詰めは子供達と義兄・小野塚真一、姪・香田吉乃が担当することになった。

作業すること2週間。

約5000袋の“まんぷくラーメン”ができあがった矢先、過労で福子が倒れてしまう。

福子を助けるために、鈴はさらに手伝いに精を出し、甥・神部茂も手伝いに加わった。

 “まんぷくラーメン”発売日は、昭和33年8月25日。価格は20円。

発売前日、箱詰めも終わり、いよいよ“まんぷくラーメン”が発売される。

まんぷく第20週の感想

研究所作りから周囲の人に助けられて作ってきた即席ラーメン。

さらに鈴や香田家の人間を巻き込み、“まんぷくラーメン”として、世の中に登場する週となりました。

 

常温保存に難航する萬平さん。

冷凍と蒸発を繰り返してできる高野豆腐からヒントを得た萬平さんは、氷屋に行き、麺を繰り返し冷凍と蒸発させました。

しかし、思ったような麺はできず、萬平さんは、また行き詰ってしまいました。

 

そんな時、天ぷらを揚げる福子を見た萬平さんは、何かを思いつくと研究所へ急ぎました。

天ぷらを揚げている時に出てくる泡。

あの泡は、油の熱で具財の水分が蒸発して出ているのです。

麺を陰干ししても、冷凍と蒸発を繰り返しても、思うように水分を蒸発しなかったので、“水分を蒸発させる”ということは、萬平さんの最後の大きな課題となっていました。

萬平さんは麺を蒸すと、ジョウロでスープエキスをかけ、その麺を揚げ始めました。

萬平さんと福子が揚げた麺を試食すると、現代でいうところのベビースターラーメンのように、ポリポリと音がします。

揚げた麺にお湯をかけ、さらに試食を進めます。

その結果、萬平さんも驚くほどの美味しさに仕上がっていました。

福子は美味しさに喜びます。

しかし、麺を油で揚げてお湯をかけるとどうして戻るかという疑問の方が重要な萬平さんはそれどころではありません。

 

萬平さんは、茂にお願いして、大阪大学の近江谷先生に連絡を取り、即席ラーメン研究所に来てもらいました。

近江谷先生は、ダネイホンを作り初めた頃、ガマガエル爆発させた時以来の登場です。

連絡を受けた近江谷先生は、意気揚々と即席ラーメン研究所へやって来ました。

揚げた麺を顕微鏡で見た近江谷先生は、とても驚きます。

揚げた麺は、多孔質化していました。

油の熱で麺の中の水分が蒸発し、麺にスポンジのような沢山の穴が空いていたのです。

その穴に注いだお湯が入り込んだことで、麺が元に戻ったのでした。

これは、高野豆腐と同じような状態なのです。

萬平さんは画期的な発明しました。

福子は、とうとう完成だと喜びます。

しかし、萬平さんにとっては、まだ完成ではありませんで。

完璧主義の萬平さんは、さらに麺について考えを煮詰めていきます。

 

萬平さんから完成ではないと聞いた福子は、1人、困惑を隠せません。

福子の収入だけでは生活費が底をついてきていたのです。

そんな矢先、即席ラーメン作りの進捗状況が気になった真一さんが来ると、自分が出せる額ならとお金を貸してくれることになりました。

これでしばらく立花家の生活の首が繋がります。

 

研究を重ねる萬平さんは金型を作り、麺に均等に油の熱が行き渡るよう工夫をしてみますが、なかなかうまくいきません。

180℃では高温過ぎる。130℃では低温過ぎる。

間をとった160℃の油に、縮れさせた麺を入れ、2分揚げてみます。

麺を割ってみるとうまく揚がっています。

そこからお湯をかけて3分。

3分後。試食をしてみると、さらに美味しくできあがっていました。

しかし、萬平さんはまだ納得していません。

萬平さんは、油で揚げた時に美味しくなるように逆算して、生地から作り直すことにしました。

 

まず、練水に含まれるかんすいと食塩の量を変えてみます。

その他に、麺の細さ、蒸し時間、スープの濃さ、陰干しの時間、様々な工夫を重ねます。

試食は福子の役目でした。

福子は、一生分のラーメンを食べたかもしれません。

そして出来上がった麺の条件とは、小麦粉に卵の殻の粉末とビタミンを加え、練水に隠し味としてごま油、麺の太さは1mm、長さは20cm、1食あたりの麺の本数は180~200本、蒸し時間は7分、陰干しで水分量を45%まで落として、160℃の油で2分揚げる、というこだわり抜いたものとなりました。

次に、麺を揚げる際の美味しい油探しの研究です。

なたね油、大豆油、オリーブ油、とうもろこし油…、どこかの研究室に属するわけでもなく、これほどの油を揃えることは、一般家庭ではとても苦しいことでしょう。

福子がどれだけ遣り繰りをしているのかがじわりと伝わってきます。

そして選ばれた油とは、ラードとごま油。

中華屋さんやラーメン屋さんで普通に使われている物なのが意外でしたが、だからこれらが使われているのも納得です。

ラードは酸化しにくく、長期保存にも向いており、とうとう即席ラーメンの完成です。

 

萬平さんは香田家に、福子はパーラーに、できあがった麺を持って行きました。

香田家には、鈴、忠彦さん、克子、茂、タカ、吉乃。パーラーには、マスター、しのぶさん、トシちゃん、岡さん、森本さん、世良さん。12人が試食をすることになりました。

しかし、皆、揚げた麺の固まりを見て、美味しそうといった顔をしません。

鈴に至っては、“縮れた茶色のぐちゃぐちゃの固まり”という表現をします。

萬平さんが即席ラーメンを作るにあたり掲げた条件は、“美味しいこと”“便利なこと”“常温保存がきくこと”“安いこと”“安全なこと”の5つです。

“安全なこと”も意識しているので、妊娠中のタカが食べても問題はありません。

萬平さんはさらに、6つめの条件を今回課しました。

その条件とは、この12人全員が“美味しい”と言ってくれることです。

スープの時のように、1人でも“美味しくない”と言えば、また一から作り直すつもりだったのです。

 

そして始まった試食会。

即席ラーメンの完成の鍵を握る鈴と世良さんを唸らせるほど美味しくできあがっていました。

萬平さんは嬉しさのあまり鈴に抱きつきます。

さらに、香田家の庭に出ると、叫び、倒れ、嬉しさを表現します。

萬平さんがこんな風に喜ぶことはなかなかあるものではありません。

 

やっと完成した即席ラーメンに、萬平さんは名前をつけることにしました。

これを食べた人が皆幸せになるラーメンことをイメージして考えます。

すると福子が、“まんぷくラーメン”はどうかと提案します。

美味しいラーメンを食べて、満腹になれば、皆幸せになると言うのです。

“満腹ラーメン”なかなかいいネーミングです。

それを聞いた源は、萬平の“まん”、福子の“ふく”で、“まんぷく”であることに気がつきました。

このラーメンは萬平さん1人で作ったものでなく、常に福子が側にいてできあがったものでした。

“萬福ラーメン”だとしてもなかなかいいネーミングです。

 

ちょうど名前が決まった頃、忠彦さんから即席ラーメンができあがったことを聞いた真一さんがやって来ました。

試食した真一さんも、すごいものを作ったと興奮気味になり、池田信用組合を辞めて、まだできてもいない“まんぷくラーメン”を作る会社の社員になりたいと言い出しました。

そんなところに世良さんもやって来ました。

世良さんもまた“まんぷくラーメン”の美味しさと発明に興奮し、自ら販売役に手を挙げてくれました。

 

最後に考えなければいけないことは、値段や販売形態。

斬新なイメージで売り出したいと考えていた萬平さんは、セロハンを持って忠彦さんの元を訪れました。

手に取ったお客さんがどんな商品なのかわかるように、一部だけセロハンにし、“まんぷくラーメン”の袋にセロハンを使うことを思いついた萬平さんは、その袋のデザインを忠彦さんにお願いすることにしました。

デザインとは無縁の忠彦さんですが、タカが出産し、孫の誕生からデザインが降りてきます。

 

そんな忠彦さんのデザインは、萬平さんと福子をもみくちゃにしてきた大波がモチーフとされていましたが、その大波に親しみやすさを感じるようにととてもカラフルに仕上げられていました。

忠彦さんは、そのデザインに会社名を入れる箇所も設けてくれました。

仮名で“まんぷく食品”と記されています。

これをきっかけに、“まんぷくラーメン”を製造・販売する会社は、“まんぷく食品”に決定しました。

 

それから2週間後。

“まんぷくラーメン”のカラフルな大量のパッケージができあがり、“まんぷくラーメンの量産が始まります。

“まんぷくラーメン”作りを手伝うために、福子はパーラー白薔薇を辞め、朝から晩まで、ラーメン作りと家事・育児に追われます。

ラーメン作りには、子供達や鈴、真一さん、吉乃を巻き込み、1日約400食ラーメンを作る作業が2週間近く行われました。

世良さんは大急百貨店に交渉し、売り場を確保。

そして、発売日も決定。

 

そんな矢先、福子が過労で倒れてしまいます。

福子が休むことになり、鈴が住み込みで萬平さんの手伝いをすることになりました。

しかし、鈴1人では2人分の作業は不可能。

茂は、ラーメン作りを手伝わせて欲しいとタカにお願いし、今回ばかりはと手伝うことを許してくれました。

 

それから数日後、世良さんは萬平さんに値段の最終確認をします。

うどんの玉が6円の時代。

萬平さんの最初の考えは10円でしたが、真一さんと世良さんと話し合った20円に最終決定をしました。

しかし、20円は現実的に難しいため、20円の価値があることを知ってもらうために、試食販売を行うことも決定しました。

 

そして、昭和33年8月25日。

“まんぷくラーメン”が世の中に登場しました。

まんぷく 第21週の予想と期待

いよいよ、本格的に“まんぷくラーメン”が発売されます。

しかし、誰も見向きしません。

試食販売をしたら、その匂いにすぐ人が寄ってくるのではないかと思うのですが、売り場に立つ萬平さんと福子と鈴はお客さんに声をかけるだけ。

この状態で第1号となるお客さんは一体誰なのでしょう。

もしかしてそれが!?

“まんぷくラーメン”ができあがって間もないというのに、すぐに偽物が出てきたのは、第1号がその犯人なのではないかとふと思ってしまいました。

あまりにも展開が早過ぎます。

さらに、鍋に入れられている鶏の絵を書かれたりと、少し困難が続きます。

しかし、そんな中でも、「まんぷくラーメン大好き」と癒してくれる咲。

咲が夢枕に立つ時は、大体、事はうまく進んでいくのです。

「まんぷく」もいよいよラストスパート。

ここからどんなお話を観ていくことができるのでしょうか。

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